2003年10月〜
すっかり秋らしくなり落葉もはじまりました。
3ヶ月に1度の骨董市が朝から昼までありました。
ローム系の販売者、写真撮ったら、彼が後で送ってくれと言うんで、E―mailアドレスは? 彼??? 普通のカメラと思ったようです。
古い絵画が沢山ありますが、よく分からないのでスイスイと流すのみ。
最近、新しいのは見掛けない襟章のようなもので、会社のマーク、人物、色んなのがあります。持ち主は後ろの女性画を撮れと言っとりました。
凄い!!みんな銀に見えますね。でも、これ安物ばかり。
この台では何と!シンガーの手回しミシンがあったのです。6000円、残念ながら持ち合わせなく見合せ。
蛇腹のカメラが欲しかった。
ギムナジュ-ムの教室を借りて開かれています。入場料10sk、先回の半分。
外の通りにも並ぶサーベル類、中にはフランクフルトから来たというドイツ人が古い自動小銃も売ってました。売っていいんですね〜。書類もあるのだそうです。どういうのかドイツ人から話しかけられる事が多いなあ。
古い陶器、ガラス類、あんまり興味のあるのがないですね。
襟章?68年のプラハの春の立役者ドプチェクとゴットワールドの写真入りがあった。
この持ち主が話し好きで、ベトナム人?いいや日本人。わし、60年代に広東で2年働いたよ。船で半年掛った。などなど、
失敗談: 毎回、持ち主に声を掛けて写真を撮りましたが、一度だけ声を掛けず遠くから撮っていたら、撮るなといわれてしまいました。尤もなご意見でございます。
10月24日全国に初雪が降りました。1921年以来の早い時期です。
11月29日
注意:心臓の悪い人は見ない方がいいかも。
年末にもなるとクリスマス用の肉の保存の為に家畜の屠殺が始まります。そのBに載っている牛の運命の時が来ました。豚を解体する家庭は町部を除いて普通ですが、牛を解体する家庭は余り聞きません。私も今回始めて見ました。
今回の解体おじさんは、先回の豚殺しの人とは違い牛を得意としていると云う事であります。この時期に相変わらずの10℃で大汗かいてました。
何か不安げに見ているような気がするのです。
この後、特別な鼻輪を付けて外に引っ張り出すのですが、大勢でも中々出ようとはしません。そこで専門家の登場、尻尾におまじないをするとあっけなく出て来るのでした。
殺された後です。落ちついている様でそうでもなかったようで画像がボケてしまいました。
例の銃をこめかみに当て一発でもんどり返り、その後をハンマーで脳天を数度打付け、喉の下から腕と共にナイフを突込んで心臓を何度も突刺して昇天。
喉を切り裂き血を抜きます。
先ずは頭の部分から処理、目を削ぎ取って捨て、角をもぎ取り、皮を剥いで行きます。
生憎の雨で撮影が暗い。
金玉が2個切取られバケツに保存。(私も馬の去勢の金玉を食べた事がありますが美味しいのであります)、そして腹の部分から皮を剥いでいきます。
牛を左右に転がしながら皮を剥いでいってます。足は第2関節からもぎ取ります。処理しているのが専門家。
完全に皮を全部剥ぎ取ったところ。
赤い肉が規則的にピクピクと最後までずっと動いているのです。
仰向けに固定して内臓の処理が始まります。
太い筋のついた物が目だってでてきました。この中にはウンチの予備軍が一杯詰まっています。
内臓を剥がし喉の部分を取除いていきます。若いのが引っ掛けて持っているのがどうも腸の末端らしい。この若者、ここの21才になる娘さんのフィアンセであります。
取出された内臓。
今回も肺以外は捨てられました。ウンチが臭い臭い。
内臓が取出され四肢をもがれた哀れな姿となり果てたのです。700kgの巨体が以外と肉は少ないようなんですね。
切取られた頭部。
撮影の為にここの娘さんに上向きに置いてよと頼むと触るんだけどいやーな顔をされました。
肋骨の上から8本を数えてそこから片方を切断して台の上に置き、もう一方も同じく。
肋骨の部分から細かく仕分けしてそれから胴体の下の部分に移ります。
庭から撮影。
流れ出た血は庭の土が吸っています。今までに何頭の牛豚が処理されたのでありましょうか。牛は今回が11頭目で次の日にも1頭処理。
雄牛は18ヶ月くらいで処理とか。
真中の専門家を挟んで家族の記念撮影。
帰り際になってこの専門家がどっから来た?と、今頃何?日本人だというと驚きの声!
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