スロバキアは、勿論スロバキア人といわれる人達が大勢を占めていますが、元々人口が少なかった為に多くの移民が長い間に近辺諸国からやってきて構成されています。 人口の20%くらいを占めるハンガリー系の人達を始め、名前からはっきりドイツ系と分かる人も多くいます。意外に聞くのがギリシャ系で数世代前から入っています。これらの人達は、ご先祖が何人であったというくらいしか記憶になく、完全に現地化しています。なので、スロバキア人といっても純粋なスラヴのスロバキア人というのはとっくに存在していないように思えます。強いて言えば、この国に偶々何代か前から住んでいるからスロバキア人であるといっているのでしょう。白人同士の混血なので目立て表に現れない訳です。例えばRom(ジプシー)系は白人とは違う特徴が外面にあるので混血をしても分かり易く、子沢山の彼らは今では沢山見掛けます。それと同じように、戦前の白人も子沢山は当り前で、移民は特に子沢山の傾向があったようですから、白人の違った民族の同士の混血は、ローム系の比ではない多さだと思います。 私の周りにいる人もチェコ系、ハンガリー系、ドイツ系、ルーマニア系、ロシア、ウクライナ系、ロ-ム系と種々雑多です。ましてや、自由化されてから国際結婚をしたという話はあちこちにありますから、一層に混雑して行く事でしょう。私の子供は、正確に分かるだけで日本、スロバキア、チェコ、ドイツと遺伝子が混ざり合っています。 |
スロバキアの南部ハンガリー国境沿いの帯状に、この人達の多くは住んでいます。大きな町で住民の大半を占めている所もあるし、村ではハンガリー語しか話されていない所、また、それしか理解しない年配の人もいます。スロバキア人だけども戦前にその辺りに住んでいてハンガリーの学校しかなかったのでハンガリー語を普通に話す人もいます。 その一帯が長い間ハンガリーの領域であったからですが、時のハンガリーによる取込方法がすごいです。例えば一本の道があります。その沿道には村が作られていますが、ハンガリー人の殖民の方法は、スロバキア系の村の間にハンガリー系の村を作って長い時間を掛けて同化しようとしたようです。 私の住んでいる所がハンガリー系の村のある北限辺りで、ここから南に向かって行くと交互にハンガリー系とスロバキア系の村が存在しています。尤も、最近は住民が大分混ざり合っています。 一つの村でも両系の人達が住め分けて、この道沿いは大体ハンガリー系、ここはスロバキア系という所もあり、表面上は仲良くやっている様に見えますが、内面は中々一筋縄ではいかないようですね。そういう村には、幼稚園がハンガリー語系とスロバキア語系とあり、親の希望する方に子供を通わすとか。 私の知っている村では、住民の割合は半々くらいで、現在の村長さんはハンガリー系、村議会の議席の割り当ては住民に合わせて半々になっていますが、幼稚園は殆どがスロバキア語系に通わしているそうです。小学校以後になるとスロバキア語の学校だけになります。 戦前にはスロバキア人も多くハンガリー国内に住んでいて、戦後は相互に住んでいた家、土地を交換してスロバキアに帰ってきたという話も聞きました。今でもハンガリーにはスロバキア人が多く住んでいてハンガリーのテレビ局でスロバキア語をやっている時間もあります。 スロバキアには、SMKというハンガリー系住民の政党が連立政権内に入って、政党としては支持率の高い順の第1、2党が政権内におらず、第4党がSMKで、連立内で立場は強い方ですから色々とハンガリー系の人達に有利な政策を打ち出してスロバキア人の反発を醸し出しております。この政策で目に見えるのが、ハンガリー系の町村の出入口の村名町名の看板で、スロバキア語の他にハンガリー名が下に取り付けてあります。これが、何処の町村も呼名が全く違うのが殆です。完全に同じ呼名の所をまだ見た事がありません。 この人達は、普段、家庭でハンガリー語を話している人が多いですから、スロバキア語が普通に話せても何処か発音で分かってしまう人もいます。人によりけりですが、云われるまでまったく分からないという人もいます。彼ら同士は、これによって同系であると分かり、会話をマジャール語に切りかえるということもあります。 私の街ではハンガリー語を聞いても違和感はありませんが、苦々しく思う人もいるのは事実です。私が、村のスロバキア人の知人宅に電話したところ、義母が出て私のスロバキア語が正確ではないので随分な厭味を言われてしまいました。その人は私が外人とは知らずハンガリー系だと思った様です。 私に、ハンガリー系の人とスロバキア人の違いを問われれば、ハンガリー語を話すか話さないとしか答えられないです。中にはハンガリー系の生まれだけどもハンガリー語が分からない人もいますが、。その他には何処がどう違うのだろう。ハンガリー系の親戚もあります。また別のハンガリー系の人達の家庭にも行く事もありますが、スロバキア人の家庭と違う特徴というものを見たことがありません。遺伝子が重要ってことなのかな。 |
ローム、ジプシーの丁寧語です。ここでは一般的にチガンと呼んでいますが、これはあまりいい云い方ではないようです。公共放送ではロ―ムといっております。 この人達は、8〜11世紀にかけてインドの北西部から移動してきたといわれています。人種的にもそんな感じです。自宅に行くとシタールという楽器とかあの辺りの文化を示すものがあったりしますね。シタールはインド音楽のアレですが、私が見たのはそれとは似ても似つかない小さな弦楽器です。彼らは弦楽器の事をシタールとでもいうのでしょうか。因みに、彼ら独特の音楽は18〜19世紀に出来あがったとあります。 国内に約40万人居住。スロバキアでは、東の方に行くほど目立って多く見掛けるようになり、彼らだけの村も多くなります。私の近くの町々では、社会主義時代に国の方針で一箇所に集められた形跡があり、アパート一棟全部という所、また、彼らの家が集まっている所もあります。現在も普通の何処の村でも大概彼らは数軒固まって数家族は住んでいるように見受けます。首都では見掛ける事は少ないですね。 国内には、バイダという名のロームの王様もいますが、一般には無視されているようです。 ロ―ムといっても、もろに民族性をそのままに生活をしている人達もいるし、スロバキア人に同化してしまった人、見た目はそうでも真っ当な人も沢山いるし、一概に一緒にしてはいけないのですが、殆どのスロバキア人は極端に彼らを嫌っています。もう遺伝子に組みこまれている感じで相当なインテリでも例外ではないです。差別はいけない事ですから違和感があるでしょうが、実際に彼らと接して体験されたら分かると思いますよ。 一般人に混じって生活しているローム系の人達は、自分たちはよくない系のロームとは違うんだということをアピールしようと、自ら進んで彼らの悪口を言ったりして識別化しようとする傾向があるように思います。でも、白人達は、内面何言っていようが同じじゃないのという風な感覚があるように思えます。外見でローム系と判断されやすい人が大きな会社で採用される事はまれなことです。 何故、彼らが嫌われているのかは、多分、ご存知の通りです。民放テレビニュースでは、意識的にかどうか、殆ど毎日彼らのことが流れていますが、それだけ話題になることも多いってことでしょうか。彼らの村は、町からポツンと離れてあり、一見したら直ぐにそれと分かります。補助金を多く貰う為なのか子供は非常に多いです。 来年、スロバキアはEU加盟が現実化しますが、このローム問題が大きなネックです。(スロバキア人が差別しているということらしいです)国境が厳しくなくなれば彼らは社会補償の高いところに流れて行く事でしょう。数年前、この彼らが大挙して出て行った国では、スロバキア人のヴィザ無しの行き来が制限された事もあります。 |
学校はドイツなんかと同じく9月が新学期で前期と後期の2期制で6月一杯まで、丸二ヶ月間の夏休みがあります。 普通は、小学校9年間、高校で4〜5年間、職業学校2年間(高卒資格なし)、大学4〜5年間、義務教育は小学校まで、でも、殆どはその上級までは行くようです。 小学校では、五年生から試験でギムナジュ―ム(普通高校)に行く制度があり、高校までエスカレーター。これは中々難関です。進路は色々可能性があって以前は試験で8年生から高校に入れる制度もありましたが、今は廃止中、高校ではスペイン語、英語、ドイツ語専門科等もあり、優秀ならば選択は多枝に渡ります。でも、入学してから最低ランクを取ってそれが修正できないと確実に落第、2年連続だと放校にされます。 成績評価は日本とは反対の5が最低で小学校でも5があると一年生から落第です。厳しいというか本人にはいいのでしょうか。それで何年落第しても16歳になると9年生を終える前に出されてしまいます。 性質の良くない落ちこぼれも、特別な制度もあって寮に入れられて学校に通う場合もあります。これも段階があってあまりに悪質だと少年院のようなところもあります。中々制度的には揃っています。 高校は、日本から見学に見えた先生曰く、結構、程度が高いそうです。甥が建築学校に行ってますが、普段勉強をしてないと直ぐに5を貰うとか。今年5月で卒業しましたが入学時からすると同級生も随分減っていたようです。 職業学校では、専門的に細分化されています。しかし、私からすれば果たしてこんな学校が必要なのかというのまであります。例えば、商店員の学校、煙突掃除屋さんなど、多分、小学校だけの低年齢で社会に出さない為もあるのでしょう。これは大体2年間で卒業、多分、専門によってでしょうが、更に同じ学校の専科に行けば高卒の資格も取れます。 大学は国立しかないと思います。(追加:最近、私立の医療大学が設立されました。2003/9)国立の授業料は無料です。入学試験は試験料を払えば何処でもいくらでも受験が出来るので、数百人の募集に数千人の受験生という所もあります。但し、高校で修正したとしても評価に5の記載があると合格はないとのことです。入学をしてもそれからの方が大変で、最初の1年で既に大分淘汰されるとか。それだけに大学を卒業すると呼ばれ方にIng、Mgr などが付き、名刺に印刷もし、日本と違い権威も多少あります。知人にDr、と付くのもいますが、彼なんかは社会主義時代に大学で共産思想コース在籍中に自由化の変革に遭いましたが上手いことドクターの冠を得ました。今でも立派なドクトールで名前だけは役立っているようです。 しかし、大学を出ても就職難に変わりはないです。多くの優秀な人材は国外に出て行っています。 因みに、高校で一番就職率のいいのが音楽学校卒、大学では医学校卒。 |
現在の新築住宅は、かなり高価でこの国の一般給与水準では何年経っても絶対に買えない額です。アパートでさえ買えない額です。でも結構新しい家がどんどん建っているんですよね。不思議です。 社会主義時代から住宅不足で予約をして何年も待ってやっと手に入れる状態でした。80〜90年代にはどんどんアパートが建てられ多少改善されて来てはいましたが、自由化後の現在、建設は非常にまれで、絶対的不足に至っています。それで、核家族が進んでいるここでも、親と子供の家族が同居という所も沢山あります。 若い夫婦だけでなく町を諦めて村に古い家を買って修理をしながら住んでいる例も多くあります。農地もあるので野菜も作れるし鶏も飼えるという具合です。だから、近郊の村は人口は減るどころかむしろ増えています。しかし、奥深い村は過疎がどんどん進んで老人ばかり、その空屋を都市部の人達が買って別荘にしている地区も多くあります。そういう所は土日は賑やかで平日はひっそりとしているのです。首都では平日に車を止めるところもないくらい車がひしめいていますが、金曜の夕方から週末は丸っきり車がいなくなります。 アパートは、日本のアパートよりは間取りが広くて余裕はありますが、経費の値上がりで大きな間取りから小さい方に移る人が沢山出てきました。以前は住宅公社のようなところからから借りている状態でしたが、今は、住人の買取が進んでいます。しかし、買取っても維持費が同じなんですから名義が変っただけ、修理費は自分持ちになったし、売る場合の金額も変らずですから、買取の意味がないです。アパートは古い方がレンガを使っているので値段が高い場合もあります。新しいのはコンクリートのパネルを組み合わせて時間を掛けないで建てられるように作られています。このタイプのアパートは、村でも一棟だけ建っていたり、首都のように物凄い数が混合って建てられている場所もあります。 |
どういう訳か私の周りには手術をしたという人が非常に多いです。というより一般的に多いといった方が正確ですね。一番多いのが胆石の摘出手術、何十個と出てくるらしいです。持って帰るので見せてもらいましたが非常に固い、どうしてこんなのが出来るのかは知りません。遺伝もあるのかな。なんせスロバキアの水は大変な硬質でお湯を沸すと白いものがふわふわと浮き出てきます。私は、胆石はこれが原因ではないかと素人判断して生水は飲まないようにしています。 この手術に至るまでの段階は、先ず自分の専門医(自分で選んで決めます)に行って検診してもらい、何処そこの専門医行くように処方を貰います。それを持って中央の病院で見てもらい手術の判断をします。それから予定日に行って手術となります。書くと簡単ですが、何処も待ち時間が長く一日を費やしてしまうこともあります。いざ手術になると先生にお心付をして置いた方が不安がないとか実際にあるようです。手術で失敗、或は不注意で患者が亡くなったとしても医者がとがめられたというのは聞いたことがありませんが、先頃、それで何処かの医者が元患者に妬みを買い射殺されました。 スロバキア人は全員が保険に加入しています。しかし、あまりに患者が多いのと医療経費の値上がりで、その保険会社も今までに倒産したところもあり、全て無料だった医療費は、現在、処方箋一枚いくらとか、薬も手術も何%かの有料になりました。 ここの人達は、ちょっと熱が出たからと簡単に医者に掛かるし、安易に薬を飲むし、自分の体を自己管理出来ない人が多いと思います。小さい時から医者に通い馴れているのもあるかな。学校では病気休みは医者の診断書の提出が必要なので必ず医者に連れて行きます。何かの用事で学校を休ませても親の一筆が必要です。会社でも休めば同じく診断書提出が必要で、長期で病気休みの場合は保険会社が代って手当を払うので本当に家で静養しているか見に来る場合もあります。信用しないという訳ですね。 医者も看護婦も給料が安く、この人達も国外に出ていっています。チェコの医者や看護婦がより待遇の良い西側に出ていったその後釜にスロバキア人が入っているということ。じゃあ、スロバキアの医療はどうなるのでしょう? ここでの身体障害者対策は、国全体が経済難なので隅々とはいえませんが、良い方だとは思います。先日も甥が歩行困難の障害者で、国からの定額補助で新しい車を買えました。但し、随分と書類であちこちの役所を駆回って数年待ってのことです。障害者の高校、大学入学には枠があって前の学校の成績審査だけで入学可能です。一般的に障害者に対して偏見が無いように思います。 |
この国にいる東洋人で一番多いのがベトナム人、次に中国人です。自由化以来、取分け多く住むようになり、特に中華レストランは大きな町には大概あるし、どんな小さな町でも市場に行けば店を出している彼らを見掛けることができます。凄いバイタリティといえます。といっても、チェコのようにアジア人向けの食料品店が開ける程までは多くはないようです。ここでも開いて貰えればありがたいんですけどね。 ベトナム人は社会主義時代の70年代の終わり頃からから、ベトナム援助の為、或はベトナム側が借金返済を労働力で返済する為、又は、技術習得の為? 一時期はあらゆる産業分野で、おそらく万単位で来ていたと思います。その頃には、モンゴル人、キューバ人も彼らの技術習得を必要とする分野で多く来ていましたが、モンゴル、キューバ人の多くは帰国した模様です。しかし、改革後にベトナム人では残った人も多く、また、若い人も結構いるので伝手を使って新しく来た人も沢山いるのでしょう。現在、ドイツでもベトナム人が多いのは東ドイツに多くいた為ですね。 中国人は自由化後にやってきた人が殆どです。現在、テレビニュースでやっている不法入国者で一番多いのが中国人、見る限りは小奇麗だし、不法越境の為に斡旋業者に何千ドルという大金を支払っているようなので難民ではないです。勿論、最終予定地はもっと西国のはず、スロバキアは通過点で不味い具合に見つかった様ですね。 問題は、ここに住んでいる彼らがスロバキア人からあまり良い印象を待たれていないということです。 日本人は昔から良好です。 |
スロバキア語の学問的な事は他に任せて、私の印象から。 バンスカ ビストリツアが綺麗なスロバキア語が話されている所だそうです。標準語ということでしょうか。スロバキアのヘソ辺りですから、自然、言葉も中心になるのでしょうね。 小さな国なのですが、場所によって微妙に発音が違って来ます。首都はあちこちから来た人達の集まりでごっちゃ混ぜの様ですが、それなりの特徴があります。 話は飛びますが、60万都市の首都といってもどうってこともないのですが、住んでいる人には鼻が高いのだそうで、地方から来た人を小馬鹿にする傾向があるんだそうです。本当らしいので、そんなものかなと。 本題に戻り、首都から、ほんのちょっとチェコよりに行っただけでチェコ語的な発音に似てきます。国境といっても以前は何もなかった場所ですから、適当に強く混ざり合ってもいいと思いますが、国境の川を越えてチェコに入ると急にチェコ語が聞えてくるのですから面白いものです 南部の方に行くと、当然、マジャール語的発音が聞えてます。マジャール系の人達同士の会話は一緒にいるこちらに気を使いスロバキア語で話しているのですが、会話に熱中して来ると急にマジャール語になったり、はたまたスロバキア語になったり、楽しいです。 中部地域は聞いてもこことあまり違和感はありませんが、地方地方で方言や単語の違いはあるようです。 ヴィソキ タトラ辺りに行くと語尾を引っ張って発音し、のん気なもんですが、そこに急にヘイッ!ヘイッ!と問い詰められる感じの発音がありびっくりしますが、ヘイッ!て相槌や了解を求める時に使います。 そういえば、また話が逸れますが、この国に来て数年の頃に友人を尋ねてヴィソキ タトラ辺りの村に行った事がありました。ところが、そこでの人達の会話が丸っきり理解できなくてというより聞き取れなく、自分の元々ないスロバキア語理解力が全部一気に崩れ落ちてしまったのでした。後で聞けば何の事はない、この人達はポーランド系の人達でポーランド語を話しているんだそうです。分かるわけないわ、少しは安堵。でも、少しは似ているらしいけど。 続いて、東部地域、ウクライナの国境の辺りに行くと雰囲気も東だな〜と、ギリシャ正教会、ロシヤ正教会など、こちらではあまり見られない建築様式があるようになります。一般の建物もちょと違う感じですから異国情緒です。言葉も一瞬聞くと、”あれッ?!何時の間にロシアに来てしまったかなと、そう、まるでロシア語を聞いているような発音です。単語を聞き取るとスロバキア語です。でも、名詞は違うのが一杯ありました。野菜を買うのに意味が通じないのです。こうなると、スロバキア人の彼らが知らないのだから、もう、どちらが標準語なのか分かりません。だって学校では、彼らも国語は標準語で勉強しているはずですからね。 |
兎に角、非常に多〜い。混雑している街中で石を投げれば高い確率で当事者に当るというくらい。 当人同士の問題で傍がとやかく言うものではない場合もありますから止めときます。 でもね、夫が倒産したからって簡単に離婚するだよね。ここの夫婦ってそんなもんなの!? |
これも非常〜に多い!なぜかって?何故でしょう?それは生身の男と女がいるからです。 女性からの場合も多いし、あやかりいたいのもでありますが、うちの奥さん怖い。 火のない所に煙は立たないように噂が沢山漂っているのです。これが原因で離婚の例も多いのです。 |
毎日のようにニュースは犯罪を取上げています。殺人、強盗等など、でも、一般生活は至って極平凡で危なそうなところに行かない限り滅多にそんな事に遭遇するものではありません。平日の深夜でも結構普通の感じの人が歩いています。でも、スリはちょっと多いです。うちの家内は何度もやられていて、先日は、ローム系の女性から話しかけられちょっとの隙に時計がなくなっていたと、まさに神業ですね。こんな技があるのなら、きっと他の職業でも才能を発揮できるでしょうにね。勿体無い。まあ、盗まれて気が付いても後の祭で、口惜しがってもまた遅い。その前には、バスの中でハンドバックのに中にあった日本製のガマ口を摺られてしまいした。とろいのかな。自分が遭遇していないからなんとでもいえるです。警察に届けても無駄なんでそのままです。早くに諦めるしかないですね。 追加:今度は娘が、やはりバスの中で年配の二人組みロームに、腰に下げたバッグのチャックを開けられるのに気が付き危うく財布を盗られるところでした。 こちらで日本を旅行してきた人からよく聞くのが、物を置き忘れて取りに行ってみるとちゃんとあったという驚きです。ここでは忘れ物を公共の場でしたら、もう、諦めるだけです。自分の責任で管理するしか他に手はなさそうですね。 車の盗難も90年代後半ごろまでは物凄く多くて、手当たり次第という感じでした。最近はあまり聞かなくなりましたが、今は高級車が主に狙われています。多くはロシア方面に送られているそうです。実は私の車も初期にやられそうになったのですが、日本のこちらにないアラームを付けていたお陰で難を逃れた様ですが、窓の下のゴムを千切られてしまいました。 こういうことをやられた方は憤懣この上ないのですが、捕まった場合、一般社会で制裁も自然あります。知人のまさかアイツがという人物がトラックのピストル強盗をやって捕まり刑務所に入所、当然、周囲はみんな知っているわけです。その間の家族の不憫なこと、特に子供が、、。奥さんなんて綺麗な人だったのにまったくやつれ果て、何処の誰だか分からない状態、こつこつ働いてもたかが知れているので一気に安易な金儲けを考えた結果でしょうが、自分だけでなく家族の人生までも犠牲にしていまったように思えます。 うちの隣で20年足らず前にそこの息子が付合っていた女の子を絞め殺してエレベーターの下に隠していたという事件がありました。入口は違うのですが、知らずにその隣の部屋を買ってしまったのです。その息子は数年前に刑務所を出所して、両親が出た後のその部屋に飲み屋を経営しながら結婚もして住んでいます。真っ当に生活をして他人に迷惑を掛けるような事はしていない様ですが、時折、警察が見回りに来ているようでした。回りの善良な住民から受け入れられるのには、随分と時間が掛る事でしょうね。心の底では永久に無理でしょうか、、。 |
国内にはテレビ放送局は、国営のSTV1、STV2、民放のMARKIZA、JOJ、TA3、その他あります。 視聴率が一番高いのがMARKIZA、次にJOJ、STV、TA3と続きます。TA3はニュース専門番組、国営放送は営業不信でリストラ進行中。どの局のドラマも殆どが輸入フィルム、勿論、一番人気はアメリカ産。 数年前からアルゼンチン、メキシコ、ブラジルなど南米からのメロドラマがブームでアルゼンチンからは主役の女優兼歌手が数回公演に来ているくらいです。沢山の女性たちはテレビの前にくぎ付けで夢中です。大体のストーリーは金持ちの恋愛もの、しつこいのなんのそればかり延々と続く45分フィルムが何百編とあるのです。 ニュース番組は専門局を除き19〜20時に集中しています。これは欠かさずに見る人が殆どです。多分、この時間が一番視聴率が高いです。特別に高視聴率になるのが自国が出ている国際大会のアイスホッケーとサッカー、今年もアイスホッケーでは、高視聴率で記録に残りそうです。 最近、街では有料ケーブルテレビ引かれ番組は30チャンネルを越えます。こうなるとどれを見て良いか分からなくなりますが、結局は自国放送か言葉の分かるチェコの番組を見ていますからはっきり言って他は必要なしという感じです。 自国で製作した娯楽番組などはありますが、ドラマ類は殆どなく崩壊状態です。社会主義時代に多くテレビに出ていた俳優等は、あまり顔を見る事も無くなり、輸入フィルムの吹き替えで声優をやっています。 自国映画は製作されているのでしょうか。あまり聞いた事ないですね。最近は、チェコ映画でチェコ人パイロットがイギリスでスピットファイアーで戦うのは評判でした。 |
これも覚え切れないくらいに使われる単語が多い。日本語に直訳は出来るけど日本語にならない言葉。日本ならこんな言葉は馬鹿、アホ、糞くらいで多くは必要としないですが、ここでは必要だからこそ何時の間にか一杯出来てしまったということでしょうか。例えば、左官屋さん、大工さんなどに、仕事場でこういった単語を会話の節々にさかんに挟んで会話をする人達がいます。始めて接した時には、この人達は一体どういう人種なのかとびっくりしました。決して私が上品であるからといっているのではありません。どういう必要性でこういう話し方をするのもはっきり分かりませんが、わざと汚く話して気晴らしであろうか。えげつなさを通り越しなんも言えません。しかし、馴れというのは怖いもので、そんな彼らの会話を何日も聞いていると違和感がなくなるのです。私の口からもポロッと出てしまいあぶない危ない! これは彼らだけでなく人にもよりますが、一般でもかわいい娘までもがチラッと漏らすこともありドキッとします。一般社会で殴り合いの喧嘩を見ることはまずないですが、言い争いをしているところに出くわす事はあります。そう云う時にこの汚い言葉が出るかというとそうでもないようです。これが出たらやはり殴り合いになりますね。大体が憤懣をあらわす時に使ってストレスの解消でもしているのしょう。 こういった言葉は知っていても知らん顔していましょう。 |
1989年までこの国もチェコスロバキア社会主義共和国という共産党の支配する一党独裁国家でした。といっても名目上に他にも政党らしきものもあったように聞いています。が、事実かどうかは分かりません。 私が始めて来た当時の大統領はスロバキア人のフサーク、首相がチェコ人のシュトローガル。ソ連の書記長がブレジネフ、完全なソ連下の属国扱いで国内にはソビエト軍が駐留し、よく装甲車、戦車、トラックなどが列をなして移動をしているのを目にしました。それが真夏の暑い時期でも黒の皮コートに乗馬ズボンに長ブーツ姿なもんでソ連って夏でも寒いのかと(夏場に行った事ないもんで)。彼らは国内のあちこちをうろちょろしていることから、ここの人達はゴキブリの事をルッシー(ロシア人)と呼んでうっぷん晴らし。その名称がいまだに通用しますから、私はこの名称以外にゴキブリの正式な呼び方を知りません。 普通のロシア人もここで大きな顔をして肩で風を切って歩いていたものですが、改革後にここに高度な仕事で来ていたロシア人は、あまりに自分たちへの風当りの悪さに閉口していました。私にもどうもインテリロシア人は馴染めませんでした。 当時で記憶に強いのが路上での頻繁な警察の検査、これが車で走っているとよく止められ証明書の検査です。また、交通違反の取り締まりは殆ど毎日やっており、凄い時には一日に何度も捕まったり、ひどいのになると、何時もの道を何時も通りに行って違反をするはずがないのに止められ、標識を見ろ! んーッ!? STOP? 今まで徐行だったのが一時停止? 罰金だ! くそ〜う偉そうに! 次の日に通るとアレ〜ッ!また徐行の標識になってる!? 車で走っているときは何時も警官に注意を払っていました。警察が向こうで何かをやっていると、親切にも向側から来る車がライトを点滅して知らせてくれるのもマナーの一つになっていて随分と助けて貰ったものです。お互い警察には辟易してましたから相互協力です。 警官には、罰金の切符を切っても少なめの金額で誤魔化して差額をポケットに入れるのもいるし、私なんか彼らの絶好な小遣い稼ぎの鴨であったのです。 方式は社会主義国家=警察国家。 気分的には今のほうが余程に楽ですが、最近の犯罪件数、犯罪内容からすると昔は良かったなあ〜。とも言えます。 |
スロバキアにある自動車組立メーカーは、ドイツのフォルクスワーゲンだけです。以前は、トラックから戦車まで作っていました。今度、フランスメーカーの進出が決まりました。 現在この国で販売されているのは、多分、世界中の殆どのメーカーの車です。ロシア車も展示会以外で見たことないですが売っているのです。一番売れている新車はシコダ、何故シコダか。この理由でよく言われるのが部品が安いからです。しかし、今時そんなに簡単に壊れる車を販売するわけないでしょう。ところが、こちらの常識的自動車使用年数は20年以上。それならまあシコダを買う理由もわからないでもないです。シコダも他の外車も値段的に大きな差はないですが、お金を持っていそうな人でも結構この車を待っている人が多いのです。シコダはフォルクスワーゲンの子会社です。 車検は、新車で4年後、その後は2年毎に検査を受けないといけません。警察に止められた時には免許証と車検証の提示は必ず求められます。尤も、最近は滅多に止められる事もありません。 この車検は古い車だと検査に通らない事がままありますが、何度も修理をして何度も検査にもっていけますから2〜30年の古い車もいくらでもいるという具合です。首都は知りませんが、車検場は各町に一ヶ所だったと思います。 中古車の販売価格は、需要が高いですから当然、高くなります。車種にもよりますが、10年の車でも買った時の3分の1くらいで売れます。一時期、輸入中古車販売が大儲けをしていました。しかし、輸入規制でもう駄目です。でも、中古車販売仲介業は今だ繁盛してあちこちにあります。方法は売りたい人がその展示場に車を持って行き自分の売りたい値段を提示、売れた場合は業者が何%の手数料を受け取るというシステムです。 新車でも日本車が多いですが、特に最近目立つと思うのはフランスの車、値段が安くデザインが斬新だからでしょうか。隣のハンガリーでスズキを作っていますがあまり見る事がないですね。今度、チェコでトヨタが生産を開始しますから期待しましょう。 |
ソ連の技術で国内には二ヵ所あります。それも私が住んでいる町を挟んで等間隔で! 日本の新聞には危険な発電所として両方共載っていました。あのチェルノビエレと同じソ連製です。怖いですね。ところが、ここの住人達は、何故だか全然まったく、気にしていません。誰も何も言いません。だから、私も普段忘れています。手遅れになるかも知れないけど、いざとなった時には早く逃げるしか対策はなしです。 噂ではこの近くに東西緊張時代に掘ったでかい地下壕があるらしいので先ずはそこに駆け込む。でも、それって何処にある?そういえば、近くの駄々広い畑の真中には当時西側向けに大量破壊(原爆、水爆?)ミサイル発射基地があると公然の秘密のごとく囁かれていましたから、馴れてしまって何とも思わなくなっているのかな。 近くの村役場には、本当に機能するかどうかわかりませんが、放射能感知装置が設置してあります。いざとなったら赤ランプが点滅してサイレンがなるようです。試しに作動させて見てもらいましたが、実際にはどうだかね〜。これも多分ソ連製。 発電所に行った事もあります。例の形をした煙突は物凄いでっかく威圧的態度で蒸気を黙々と噴出しています。考えてたら怖くなってきました。両方とも30キロ未満の所にあるのです。忘れときましょう。 |
私のいる町には、1930年に6000人のユダヤ人が住んでいたと記録があります。当時、スロバキアの中でも一番多い位に彼らが住んでいた町とかでその人口の半分近くと聞いています。彼らのお金持ちが住んでいた繁華街の近く所(商店は彼らが多くを持っていたということでしょうか)。一般的ユダヤ人がまとまって住んでいた所とか最近まで古い街並みが残っていましたが、今は潰されてモダンンなアパートが建設されています。 第二時大戦中のナチスドイツの影響下、彼らはポーランドの強制収容所に送られ戦後まで生き延びた人がおよそ10%です。中にはスロバキア人に匿われていたという話しも聞きました。〜という歴史がありますから、街の中心地には大きなシナゴーク(ユダヤ教会)があり、それよりちょっと外れたところには立派な大きな墓地が今でも整備されてあります。ところが、彼らは町人として住んでいただけでなく、村の方にも農家として生活もしていたようです。そこは本当に小さな村で、彼らの墓はスロバキア人の墓地とは別場所の農地の外れに囲いもなく数基ポツンとあります。今では訪れる人もなく荒れ放題、歴史の流れを感じます。 そんなに住んでいたユダヤ人の形跡は現在はそれくらいしか見る事は出来ませんが、今でも極僅かですが目立たないように住んではいるようです。強制収容者からの生存者の多くは、イスラエルに移住してしまったようですね。テレビでは何度かスロバキア語で思い出話をしながら涙を流すスロバキア生れのイスラエルの人達をやっておりました。 |
テレビニュースばかりからですが、殆ど毎日のごとく大きな事故があります。 スピードの出し過ぎが一番の原因に思います。郊外に出ると飛ばす飛ばす、何を急いでいるんだあ。 私なんか何時ものろのろガソリンを倹約しながら走っています。今迄、加速の悪いシコダに乗っていた反発でそんなにスピードを出すのかと皮肉りたくなります。しかし、事故っているのは新しい車ばかりでなく古いシコダも、じゃあ何を急いどるの・・? 死に急いでいるだけ?分からんです。 それが死亡事故も多くて、道端には十字架が何時の間に沢山立ち並んで嘗て死亡事故が合った事が分かります。運転していて気持ちが良いはずないです。 私の友人には、普段は凄く性格の良い奴なんですが、ハンドルを握ると途端にスピード魔に豹変するのが数人います。当然、何度も事故って小さな接触は数え切れずちょっと遭わない間に車がない、どうした? 修理中! またも車が代っているな。どうした? 潰した! と、幸い入院までの事故は今まで無いようです。こんなのがいるから修理屋さんが儲かるのです。 道路事情は、高速道路が少なく、東部の町に行く場合などくねくね道を追越もままならず、急ぐ時には私の様にトロトロ走る車が前にいるとイライラとするものです。特に田舎の方に行くと年配者が本当にゆっくり走っていたり、トラクターがいたりです。山間部は今も道幅が狭く先も見えず無理な追越、無理なスピードとなるのでしょう。 大都会は別にして、どうしても車は必要となるので年配者の運転者も多くいまして、確か免許の年齢制限は無かったはず。女性も多いです。序に自動車免許は18歳からです。選挙権も18歳から。 早い時期の高速道路の建設が待たれますが、例えばコシチェという町から首都までどうしても行かなければならない時には直線距離で300km、早くても5時間は掛かり、物凄く大変な労働です。これが高速なら3時間も要らないです。お金が無いから後何十年は無理でしょうね。と書いていたら向う七年の間に首都から北回りでコシチェまで飛び飛びになっている高速道路の着工をするというニュースがありました。何か遠回りです。 鉄道は、利用者が少なく本数を少なくするくらいなので、高速鉄道もこれまた期待出来そうにないです。車は余裕を持って運転する事が何処でも肝心ですね。 |
アイスホッケーのワールドカップ。日本もスロバキアと同じグループに当り、スロバキアに10対1と大差で日本は負けました。サッカーでは、日本とスロバキアが当った試合の場合、大体、最近は日本が勝ちますが、それ以前の試合で日本がスロバキアに勝った事があったのでしょうか。残るはアイスホッケーで負かしたいものですが、なんせ昨年は優勝国ですから当分は日本が勝つという事は望めそうにないですね。スロバキアの国民的スポーツはなんといってもアイスホッケーにサッカーです。子供達がその辺で遊んでいるのを見ると場所の関係もありホッケーの方が多いように思います。大概の男の子はアイスホッケーのスティックを買って貰ってテニスボールを転がしています。日本の子供達が野球やサッカー選手にあこがれるようにここでもサッカーとアイスホッケー選手は憧れの的でいい選手は国外でプレイしているのが一杯います。実際にはサッカーの方が裾野は広く大概の街や村にはサッカークラブが存在し休日には他の場所のクラブとの対抗試合をやって地元の観客が多く観戦に訪れているのをよく見掛けます。ですから、ワールドカップなど国際試合でのテレビの視聴率は可也高く昨年のアイスホッケーの決勝戦の時には外を歩いている人が殆どなくスーパーもガラガラという具合で、一点のゴールに街中でワーッと一声に大歓声が湧き上るという事態でした。それが決勝の試合だけでなく、毎年のワールドカップで出場試合が毎回こうなんです。 それで私に興味があったのは、昨年優勝した時には国中が大騒ぎでしたが、ニュースで隣国の反応というのをやっていまして、当然チェコもアイスホッケーは盛んで兄弟国のようなものですから、スロバキアに負けたといって色々やっているけどもハンガりーの反応は?というと市民に全く関心なしとやっていました。当然で優勝したとしてもハンガリー人にホッケーなど関心無いし、一緒に喜ぶとでも思っていたのでしょうか。そんなのをいちいちニュースにするかな。ところが、ポーランドからは一切無し、高い山が国境で両方共あまり関心がない様ですね。 小学校でもスポーツ小学校と呼ばれてスポーツに重点を置いて教育しているところもあり、街でも子供向けのスポーツクラブが一杯あり、午後からあちこちの小学校、また体育館などの場所を借りてやっています。高校入試には、こういったところに通っていて試合に入賞したとかも、選考の際には大いに参考にされます。 因みに今年のワールドカップは、スウェーデンに負けてチェコに勝って3位に入りました。対スウェーデン戦は例によりスロバキアのゴール毎に物凄い歓声どよめきが街中に沸きあがりました。大げさですが視聴率は100%近いのではないでしょうか。国中の歓声が月まで聞えたかもしれないですね。 |
子供のスポーツ学校がありましたので、次は子供が通う芸術学校関係について、 芸術小学校というのが、ちょとした町には大概あります。スポーツ小学校は、普通のの小学校と同じ様に朝から通って普通の時間に終わります。しかし、こちらの学校は、普通の小学校の時間が終わってからそれぞれに希望する専門の部門に殆ど無料で通えます。但し、入学は素質を見られてからです。当然義務ではありませんから、好きな時に止められ、誰でも年齢に関係なく年度始めから入れます。これは音楽関係と美術関係とに分けられます。 ここで教えている先生は、資格がないと教えれませんので、普通の学校の先生と同じ立場の同じ待遇です。 これも高校、大学の入試の際には合否の参考にされます。年齢制限がないと書きましたが、大学生でもこの小学校に通っている人がいるはずです。7年間で終了し更に上級の4年間コースもあります。社会人でも別コースが用意されています。 その道の専門家から教わるのですから、これは本当に恵まれていますね。日本でもこんなシステムが町々にあれば隠れている才能を伸ばし発揮で来る子供達が沢山輩出されることでしょうにね。 この上には美術高校、音楽高校というのがあります。ここにも別に年齢に関係なく才能があれば入れます。他の高校、または、大学に行きながら二股というのも可能です。その場合は他で既に習った教科は免除になります。 この手の高校は、この辺りの国では、チェコとスロバキアしかないらしく他の国では、大概が大学からだそうです。ここから外国の例えば、ドイツの音楽大学に留学の場合、ここでの高校の年数も考慮されるとか。 これは私が知っているだけで国内に国立が4ヶ所、私立が数ヶ所あります。音楽大学は3ヶ所ありそうです。 一般高校は、5月始めに入学試験が一斉にありますが、この高校は早くて3月始めです。 それから、最近読んだ雑誌から蛇足、ヨーロッパにスロバキアしかない学校があります。それは鷹匠の学校です。この鷹、闇で1羽が数百万円で売買され、捕る事は勿論禁止されているのですが。 |
今年の入試は、5月5日でした。偶に買物へ行く場所の駐車場が朝から満杯、路上駐車も一杯、珍しいなと思っていたら、車の中に座っている人が多い。何でじゃ?そういえば入試であった。そこの隣が化学工業高校、ホテル学校などがあるのでした。 でも、平日に両親も仕事もあるだろうに、こうやって娘、息子の為に多くが付添いでやって来ているのです。 一般的な親は、ここでも教育熱心で、出来るだけ良い学校に行かせてやろうとしています。母親達の会話を聞いていると、学校の成績の話しなんかが多いです。何が何でも大学に行ってもらいたいという願望は特にない様に思います。勿論、大学を出てくれれば嬉しいのには変わりないですが、子供の能力を理解した上で、それなりのところに行って欲しいと願っていますね。でも、あまりに成績をこだわり過ぎる親もいて、通信簿を貰った日の次の日には、決まって小学生の自殺ニュースが流れます。悪い成績を貰って帰るときつく叱られるからなんですね。 反対にそんな親ばかりではなくて、子供の事など構っていない両親も沢山いる様にも思えます。ひどいと思うのは、小学生低学年からの喫煙、特に大人に成りかけの極普通の十代半ばからの喫煙は非常に多く見掛けます。それから、夜中のディスコにも小学生がいると聞いていましたが、先日のニュース、真夜中のディスコの一斉検査で、小学生らしき年齢のが一杯いるのです。これなんか完全に親の監督不届きですね。ロシアの様に浮浪児を見ないだけまだましかな。 |
西スロバキアでは、圧倒的にローマカトリックが大勢を占めています。それからエバニエルと呼ばれているプロテスタントが少数派としています。東部に行くに従いギリシャ正教、ロシア正教と増えていくようです。 敬虔な信者が多く、日曜礼拝も朝早くから入りきれないくらいの多くの人々が集まっています。田舎の方の日曜の朝は、正装の老若男女が教会に向ってぞろぞろと歩いています。特に目立つのはおばあさん達のスカート、独自のタイプで腰から大きく膨らんでいます。外装は真っ黒、中に何枚も重ね着をしているのだそうです。車で走っている冬場の暗い時には、この黒ずめの衣装が急に目の前に現れてびっくりすることもあります。 このカトリックでは、簡単には信者になれないようで、小さい子供の時から色々と重要な儀式があり、それが済んで始めて正式なクリスチャンとなれるようです。しかし、社会主義国でありましたら無宗教の人達も結構います。普段の生活、習慣、言葉にキリスト教の影響だらけですから、無宗教といっても知らず知らずに宗教的な事をやってしまっているのです。言葉では、驚いた時などに「イエジスマリア!」と何かと気にも止めず連発して使っています。私もその一人、これはイエス・キリストとマリアのことです。それとか、さよならはド・ビジェニァですが、ズ・ボホンという言い方もあります。”神様へ”ということです。オーストリアでは、挨拶にキリストゴット(キリストは神様)と一般的に言ってますね。 この宗教が道徳を担っているところ多大ですが、小学校、高校でも選択で宗教の時間がありカトリック、プロテスタント、無宗教と分かれての授業があるようです。宗教も改革後は国外からセクトといわれているようなのも入って来ています。色々と幅が出てきたと言えますね。 |
日本人は自ら律して、悪い事はしてはいけないこという気持ちが強い方ですね。でも、煙草の吸殻、ゴミのポイ捨ては普通でしたが、今はどうなんですか。ここでも同じく、一般的に平気で捨てます。 公共道徳において、例えば、直接的に他人に迷惑を掛ける事で大声を出すとか、むやみにクラクションを鳴らす、順番を荒らす事等、誰だかはっきりと目立つ場合は、ローム以外あまりやりませんが、犯人が分からないようなことは、平気でやる様に思います。そこら辺りが日本人との大きな違いかと思います。ですから、普段から盗難には気を付けて、物を外に放って置くと言う事はまずありえません。落し物、置き忘れが帰ってくることはまずありえないと思っていいです。中には落し物を拾って届けてくれる人も偶にありますが、そういう人がいたら、私なんか感激して物凄く感謝するでしょうね。でも、友人で、拾物をわざわざ届けに行って手渡し”ありがとう”も言われずにドアをばたんと閉められたという例もあります。 私が始めの頃、違和感があって不思議に思っていたのが、どんな田舎に行っても隣同士の親でも高い囲いが巡らしてありることです。ある友人に何でと聞いて見ました。彼は答えずらそうに物を盗られるからと。そんな事をしない人も沢山いるのですが、もう習慣として囲いは高くするもの、無くてはならないものとなっているだと思います。常識では、外に面した側は高くしても、よく知合った隣同士まで高くしなくてもいいと思うのですが。板塀の様に隣が見えない様にするのではなく、フェンスの囲いが殆どですから隣は丸見えです。 それから、私が憤慨するのは車、私の車も新車の時から側面が傷だらけです。何故かというと隣に止まった車が、注意してドアを開けないからボンボンぶっつけます。ところが、誰かが車に座っていると注意しているようです。中には全くそんな意識もなくぶつけて、注意しても何の事だか分からないというのまでいます。結構自分の車は大切にしているのに他人の車はどうでもいいという具合です。 それと、自分のミスで他人が何か損失した場合、直訳すると”欲しなかった”。そんなつもりはなかったと言うだけで、絶対といっていい程、御免という言葉が出て来ません。こちらは弁償を期待しているつもりはないのですが、一言御免といえば済む事なので、余計に腹立ってきます。一寸腕が触合ったとかは直ぐにパルドンとか言うのですが、利害が出そうなのは敏いのかもしれないですね。 |
概略、スロバキアの第二次世界大戦での立場は、第一次世界大戦後に成立したチェコスロバキアが1938年にドイツに攻込められてチェコは併合、スロバキアは分離独立しましたが、完全にドイツの属国状態、スロバキア軍は当初ドイツ軍と一緒にソビエトに攻め込んで、途中から寝返り、今度はソビエト軍と一緒に攻め戻って来ています。その間に国内では反ドイツで軍と共に民衆も蜂起しましたが、組織的反抗は押さえられ、後はパルチザンが散発的抵抗をしていました。その内にソ連軍が攻め込んでチェコスロバキアの大半を占領、序にウィーンまで占領。それが大きな原因で戦後は社会主義国になってしまったといっていでしょう。因みにプラハ辺りまではアメリカ軍が解放しています。ドイツ軍が全欧州で組織的に最後に降伏したしたのもプラハです。 ここでもソ連軍の蛮行の話しは日本で聞いたり読んでいた満州での出来事が、そのまま当てはまります。実は最近も高齢男性との会話で、この話題になったのです。当時16才、女性は皆地下室などへ隠れたとのこと。物も随分と持って行かれたいうことです。ところが、ドイツ軍は見境無くそんな事はしなかったと。勝てば官軍、負ければなんでも全部悪いと、日本も言われていることは同じですね。 スロバキア全土が戦場になったのですが、爆撃機による爆撃は国内では首都に英軍によるものが一度ありました。それはドイツに抵抗せよと促す意味があったとか。それで、最終の地上戦のドイツ軍は逃げるのが主になり、国内の壊滅的な破壊は逃れています。うちの家内の実家の所でも戦闘があり、ドイツ軍人が亡くなって近くに葬っていたのを、戦後になり遺骨の引取りにドイツから家族が見えたということです。 一般スロバキア市民には、戦闘よりもソ連軍による略奪、暴行のほうが記憶には強い様ですね。 ドイツ軍が全然悪い事をしなかった訳ではなく、実際に連行されビストルで殴られ歯を折り収容所にまで送られた人から話しを聞いたり、家内の家族には軍人でダッハウ収容所に送られ拷問で足を焼かれ、もう少しで処刑のところをアメリカ軍に救われた人もいます。ネメツという村は訳すとドイツ人という意味でそれだけで全村民虐殺とか、探せばそんな例も多くあります。 既に亡くなりましたが、ドイツ人で奥さんがスロバキア人であった為にドイツに引揚げずそのまま残った知人がいました。戦争初期当時、スロバキア人としてスロバキア軍に入隊していました。だけどスロバキアが組織的にドイツに反抗しだした頃に除隊させられ、そのまま終戦、多くのドイツ系住民がドイツに強制引揚げさせられる中、家族ではただ一人残り、その後はドイツ人だということで就職もままならず自由な行き来も出来ず可也不遇の生活を送ったようです。社会主義時代のプロパガンダで盛んにドイツ軍が悪い事をしたと繰返していたのですから肩身も狭かった事でしょうね。 |
最近の天候はここでも異常が続いています。今年は集中豪雨によるチェコ、エルベ川の大洪水、同時期にドイツ南部、オーストリア西部の集中豪雨によるドナウ川の大増水、冬場の急激な温度差による雪崩、春に入って北部地帯での季節外れの大雪、今年はこれからも異常気象を記録しそうな感じがしますね。 普段のここの気候は北海道辺りの気候を想像すればいいでしょうか。でも、山間部と平野部では随分気象が違う様に思います。特に冬は平野部では雪が全然ないのに北部山間では大雪という事がままあります。 日照時間も冬と夏では大差があり、冬は16時17時には暗くなり朝は7時頃まで真っ暗です。反対に夏場は5時には明るくなり、21時頃まで明るいです。だから、夏時間の必要性も出てくるのです。因みに北欧では、真夜中まで明るく寝る時には厚手のカーテンが必要で、冬場は長い闇の世界です。でも、白い雪があるのでそんな暗さは感じませんでした。 冬場に野菜は一切育ちません。春には地元野菜では南部の方のビニールハウス栽培による赤株大根が一番に市場に出てきます。それに続くのは長いタイプのピーマンです。長ネギも早い時期に出だします。 一般的に家庭で栽培される作物は、玉ねぎ、人参、キャベツ、ジャガイモ、サラダ菜、カレラップ(皮が緑と薄緑と二種あり中が大根のようで辛くない)、モロコシ、かぼちゃ(種を食べる)、豆類、イチゴ。 南部平野部では、ブドウが多く各家庭で自慢のワインを作っています。そういえば、私がいる所がア―モンドの木の最北限と聞きました。一寸北の方に行くとホップの栽培が盛んです。日本にも沢山輸出されているとか。 平原では菜種、ひまわり(2m以上の高いタイプ、これ写真の被写体に絶好)、背の低い小麦、麻、とうもろこし、砂糖大根等が目に付きます。 果実では、りんご、胡桃、西洋梨、桃類、貧相な栗、さくらんぼ、他。 家畜では、豚、乳牛、肉牛、羊、採卵鶏、プロイラー、七面鳥、雉、最近はダチョウの農場がありますが、豚、牛など飼料の高騰、肉の値下がりで採算が合わなく倒産の所も出ています。 |