予定日よりも早く生まれました。 予告出産、やっぱり男の子でした。 2月5日朝8時27分。 名前はNATAN CHIHIRO(千紘) VICIANです。 3320グラム、51cmでした。 私はスロバキア人の夫を持つ、日本人です。今回、3回目の出産をスロバキアですることにしました。日本とはやはり違いはあるのですが、どちらかといえば、スロバキアスタイルが私には合っていたような気がします。それって、すっかりスロバキアに溶け込んだってことかしら?? スロバキアで出産に挑むことになったのは、ずばり費用がかからないからである。二人の子供を日本で産んだし、スロバキアでも日本でも、それほど"出産"自体に違いはないだろう。義母は去年の3月に退職したものの、産婦人科の看護婦だったから、いろいろと頼りになるだろう。今回も日本に帰って出産するの?"と、何気なくチェックも入ったからなぁ。夏に日本に帰ったばかりでお金もないし。よし、スロバキアで産むぞー!! 私の住んでいるPEZINOKには産婦人医はあるのだが、出産はブラチスラバの病院に行かなければならない。今年の1月から、ブラチスラバで出産できる病院は3軒だけになり、いつも満員状態で、3日間くらいで帰宅を強制されるときいているし、ぎゅーぎゅー詰めの病室も嫌だし。食事も差し入れがないとひもじさを味わう、と知人が言ってた。 私のように臨月になってから通う患者は"一見さん"扱いとでも例えればわかりやすいかしら? その日の担当医が出産に立ち会うので、粗末に扱われるおそれがあるかもしれない。特にアジア人だし。(スロバキアにはベトナム人、中国人が多く住んでいる。言葉ができないとわかろうものなら、どんな手抜きをされることやら。 というのも、あらかじめ妊婦の具合が悪くて出産に不安や問題がある場合は、早い時期にブラチスラバに通い、医者と面識を作り、出産のときに立ち会ってもらう"予約"をするのがブラチスラバのやり方だそうで。もちろんそれなりのお礼も払うらしい。その額はブラチスラバの平均月給の三分の一。法律では無料といわれているのに、やっぱり世の中お金なのかしら? "ブラチスラバだからね。"と誰もが嫌な顔しながら、納得している世界です。 3軒の病院のうち、どこを選ぶかは患者の自由。地元の担当医にお奨めを聞いたところ、 "どこにでもいい医者もいれば、悪い医者もいるんだよ。" なんじゃそれ?! 近所の人に聞けども、人それぞれの意見があり、決断するには情報が足りない。夫の母は以前から自分の勤めていた病院で産んで欲しいような気配で、"Krupinaに来てくれれば、力になれるのに。"と親身な言葉もあり、今回は悩んだ挙句、KRUPINA(ブラチスラバから南西に180km)のラド(夫)のママ、(つまり義理の母)の働いていた産婦人科で産むことにしました。 出産まで2週間ほど、3食昼寝つきの生活をさせてもらおうと、1月末からKRUPINAに乗り込みました。この選択は正解でした。今では笑い話ですが、出発前日にブラチスラバの私が予定していた病院の産婦人科医が患者に"お礼"を請求していたことがわかり逮捕されたのです。 予定日は2月17日でしたが、Krupinaに着いてから、1週間もしないうちに出産に至ってしまい、結果的にはよかったです。長男のニコライはラドと二人でPEZINOKに残ったので、学校の準備やら宿題など、私にとっては不安の種だったし、ラドの帰宅が遅いときなどは仲良しの友人宅で過ごしたり。ちょっと、かわいそうにも感じていたので、その期間が短くなっただけでも、ホットしました。ちなみに長女のサラ5歳は、私と一緒だったので、KRUPINAにいるとテレビは一人で独占できるし、保育園に通わなくてもいいから、ハッピーだったようです。 さて、出産記ですが、 朝、3時半に目が覚め、ボーっとしていたらなんとなくお腹が痛くなってきた。どうやら15分おきなので、日本ならば経産婦は病院に向かうべき時間だけど、ラドの両親をたたき起こす勇気がなく、痛みも短いし、まだまだ強くないし、10分おきまで待つことにした。 やっと5時半にラドのお父さんが起きてきたので、"お腹が痛いんだけど!"と告げる。しかし、それでわかるはずない。ラドママが即座に、"いつから?何分おき?"と、起きてくれた。6時すぎに病院に向かい、入院、出産準備開始。 赤ちゃんの心音もきいて、陣痛の間隔も計って、血液もとったし、内診もしたし、毛の処理もしてくれたし、もちろん浣腸だって。この辺は日本と同じ。その間に陣痛は!痛みが弱いし短い!こりゃ、子宮口が10cm開くまで、8時間作業かな?なんて、勝手に予定を立ててしまった。 7時にはパジャマをきて、別室にて待機。 もう一人若い女の子がいた。4人目の出産だそうで、帝王切開で産むとのこと。(若い人が4人以上産むときは、病院側が卵管の閉管手術を打診してくれるそうで、この女性は手術を受けるための、帝王切開だったことを後から知った。)ラドママいわく、"あの子が生まれたときのことも覚えているわ。"さすが。そうそう、ラドママは"水を得た魚"のごとく、ナースに変身、内診だろうとなんだろうと、私に付きっ切りで面倒をみてくれる。ここでは、書類を作成。生まれる前にすでに子供の名前を申告しなければならないのにはびっくり。超音波で性別がわかるこの頃ですが、人によっては"生まれてからのお楽しみ"のため、男女の両方の名前を用意していました。 さて、痛みの間隔7分。時々痛み強し。 役所に提出するものなど、ラドママが書いてくれたので、信用しきって子供の名前も確認せずサインした。生まれたあとで間違っているのを発見することになる。看護婦の記入ミス。 8時15分前、医者に呼ばれて分娩室に入る。 子宮口の開き具合は、6cm。 "まだ何時間かかるのかな?夕方には生まれるかなあ?"とラドママに聞くと、 "促進剤を打ったら早いわよ!"の答え。 私は心の中で、"???なんで促進剤を打つ必要があるのだろうか?"と、首をひねる。 医者がなんだか怪しいことを言い出し、半分わかるけど、半分わからないので、???とうなづいている間に、破水させることになり、いきなり出産体制に入る。 日本では、普通はやらないと思いますが、私は3人目の出産なので、破水させたら進行具合が早いだろう、という判断だったそうです。医者にもスケジュールがあって、他に帝王切開2件が予定されていたので、まず、手のかからない私が、分娩室に呼ばれたらしい。 医者が鉄の棒のようなもので破水させた。この時点では私も案外冷静で、"私の血?破水させたの?"と質問する余裕もあった。なぜかというと、状況が良く理解できていなかったから、、、。 破水によって、陣痛が強まり、促進剤も点滴で入たので、すぐに本格的な痛みがやってきました。それはそうと、そういうやり方を希望するかどうかを聞いてくれてもいいのになぁ。患者にそんな選択権がないの?これがスロバキア!なんて、心中ムッとしながら、言葉にする勇気はなかった。ラドママがしっかり手を握ってくれているんだし、間違いはないだろう!と、信じるしかない!と自分に言い聞かせる。 しかし、その痛みったら。 もしも何をやっているかが正確にわかれば不安もなかったのでしょうが、どのくらいこの痛みが続くのだろうか?この強い痛みはもうクライマックスに違いないのだが。陣痛の間隔がまだ5分おきぐらいだから、ちょっとまだかかるのかな?二人の出産経験なんて、役に立たなかったような気もしてくるし。ひたすら、ラドママに、"わぁー痛すぎる。あと何分ぐらいかかるの?"と問いかけを連発し、医者や看護婦に笑われる。 "この痛み忘れちゃったの?あと何分かかるかこっちが知りたいわー。"と、みんなが和気藹々と反応してくれる。しかし、私には笑う余裕なんてない。 分娩台は、日本のとはかなり違う。黒い皮製のクッションつきのベッド(手術台のよう)で、腰と背中には段差がある。足は固定せず、その分娩台の隣にひざを乗せる棒が2本立っている。痛くて勢いあまっちゃったら、足を閉じちゃいそう。医者に失礼かな?なんて考えていたら、"いきんでいいわよ。"とささやかれる。 いきなり言われても、心の準備ができておらず、痛み逃しの深呼吸をしてしまう。 "口は閉じるの!いきむんだってば!!"と看護婦がやってみせてくれる。そっか、もういいのね。 さっきは、6cmって言ってたから、どうか破れませんように、どうか切らなくていいように。と祈る気持ちでいきむ。 "がんばれ、がんばれ。"の声に答えて、もう一度、いきむ。 あの開放感とともに、ベイビー誕生。 冷静に時計を見ると、、、。 破水させてから、実に15分。超早!あの強い痛みも3回くらいしかなかったような気がする。 なんて、楽なお産だったのでしょうか!! 日本では"お産"はなるべく"自然"にしたがって、というのがここ数年の傾向なので、浣腸やら毛の処理なんてやらない病院も多いそうです。お産の本や雑誌にも、"子宮口10−12cm、陣痛1−2分間隔になったらいきむ。"とあります。日本ではこれが普通です。初産ではその状態になるまで10時間、人によっては24時間かかります。ひたすら耐えるしかないのです。 ここスロバキアで毎晩、それを参考にイメージトレーニングしていたのが馬鹿みたい。私は初産ではなかったから、こういう方法で出産できたのだと改めて思います。 "自然が一番"もよくわかりますが、あの痛みは短いほうが有難いと実感しました。 おかげさまで体力、気力を消耗せず、出産が済んで、ホッとしました。 改めて振り返って、日本との違いを挙げればキリがありませんし、日本でも病院によって違いますよね。 噂に聞いていた食事でショックだったのは、土日は調理室が休みらしく、土曜の夕食、夜食、日曜日の朝食と合わせて、パンを5枚食べないといけなかったことです。家族が近くにいて差し入れを持ってきてくれたので、空腹感をしのぎました。また、病院には面会の廊下はありますが、新生児はベビールームにいて、家族は面会はさせてもらえません。私は個室(有料)を借りたので、一人でのんびりと過ごせ、子供たちが面会にやって来て赤ちゃんに会えたのもよかったですし、おやつも食べることができました。スロバキアの病院で出産したものの、やはり知人がいることで特別扱い(家族的)だったことには間違いありません。 そうそう、もちろんお礼もしました。ラドママが焼いてくれたケーキを配り、立ち会った医師にはお酒を買いました。 出産には一人一人違ったドラマがあります。だから、生まれてきた赤ちゃんも一人一人違っていて当たり前なんだと、つくづく思います。他人の子供と比較して、お乳を飲まないとか、おっぱいが出ないことで、落ち込んだりする必要はありませんでした。3人目を出産して初めて知ることが多く、自分自身とても恥ずかしいような、嬉しいような、スロバキアで産んだからこそ、満足のゆく出産ができたと思います。 2004年3月23日 ヴィツイアン 邦子 |